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あれから10年 [グッピー偉人伝]


筒井良樹氏が亡くなってちょうど10年になります。
もう<筒井以降>のグッピー愛好家も多くなっていてさすがに10年たつと景色は変わるものです。
30年前はお互い学生で週一の深夜電話では毎回2時間以上。男同士、共通の話題はグッピーだけです。信じられないでしょ?コードレスの子機付きの機種がようやくできた頃で充電が充電がよく切れてましたっけ。古いなあ。
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 でも2人で撮った写真はほとんどありません。これは2000年ころだと思いますが日本グッピー協会(復活版)のコンテストと素人金魚名人戦の会場で撮影したものです。コンテストは大嫌いな氏はたいてい遅刻したり、へべれけ状態だったり、どこぞの超きれいなおねいさんを連れていたり、話しかけるなオーラがバリバリでした。
 この日はどういうわけか独りで、ややお酒は入っていましたが上機嫌でうちの息子をかまってくれたりしました。その時、こんなことはもう2度とないだろう、というなぜかわからない一抹の寂しい予感めいたものがあったものです。
 10年前のあの日以降、しょうもない変○○グッピーを心から悦んでくれ真面目に殖やしてくれる(たまにですけど)人がいなくなってモチベーションは完全には回復していません。
 世界のグッピー画像がリアルタイムで見られる時代ですがフィルムカメラの時代はグッピーの写真を撮ることですらなかなか一般人にはできない作業であったわけです。あのグッピーベースブックの衝撃が今に繋がっているのだ、とつくづく感じているところです。
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絶筆 [グッピー偉人伝]

 昨年2月大往生を遂げた、和泉克雄氏の最終章が出版されました!
  夢幻抄 上、下巻。
 臨終間際まで書いていたという、その文章は夢ともうつつともつかず、半仙人のようでそれでいて生々しく、畏敬の念を禁じ得ません。校正も難航したようで、まとめられた奥様の御苦労は特筆すべきことです。

 写真も多く、氏をよく知るものにとっては、これまで書かれていなかった記載もあり、まさに遺言に近いものでしょう。
 自費出版のため入手は困難かと思いますが、出版元は自宅になっています。残りは30部ほどだということです。(魚に関する記載はわずかですし、グッピーの写真は一枚もないですよ、念のため)


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 詩人、文人として評価する人が出てくるかもしれません。

僕らは洗脳された・・ [グッピー偉人伝]

 某所でまたじじ●3人組の回顧座談会がありました。
 先日亡くなった濱井(浜井)利夫さんを偲びました。んな昔の話してどうする、誰が読むんじゃ、という話は、まあ知らんぷりしておきましょう。

 浜井さんの業績を語るなんざー筒井良樹の仕事なんです、ホントは。
 あらためて古文書をひっくり返して確かに濱井さんの魚と認定できるのだけを見ても、あの時代突き抜けているのがわかりました。

 過去の人ではありますが、その後も再三再四復活を遂げて、そのたびに系統は途絶えていても独自の模様の浜井モザイクを作ってしまった、つまりどう考えてもモザイクを作ったのは浜井さんで浜井さんしかホントのモザイクは作れなかったのかも知れないのだなあ、と。
 戯言失礼しました。

 新しい写真なくてすみません。

 画像はフィッシュマガジン’70年11月号より浜井利夫作出の第2回ダイヤモンドグッピーコンテスト総合優勝魚 (問題あれば削除いたします)

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モザイクの父 [グッピー偉人伝]

 またまた訃報です。知り合いの葬式が多くなるのも齢とった証拠でしょう。

 グッピー創世記からの繁殖家で<モザイク>の命名者、の濱井(浜井)利夫氏が4日亡くなったそうです。
 1960年代に浜井グッピー研究所を開設一時は渋谷の駅前にグッピーショールームを構え、全日本グッピー協会の主要メンバーでした。’69年にはドイツ、オーストリア、アメリカをまわった四人組の一人でもあります。ということはドイツイエロー、レオパードを持ってきた人なわけです。
  
 一時中断はありましたが、’80年代滝野川に研究所を再興、その後めだか館パート1にもビール片手によくいらしていました。眼の不調でグッピーを断念したあとも金魚特に東錦を愛好されたのは、やっぱり点々が好きだったのでしょう。

 モザイクの命名者、と書きましたが紛れもなくモザイクを作った人であり、日本で最も長いことグッピーが好きだったおじさん、と言っていいでしょう。享年73。 合掌

 写真は氏の傑作のひとつ、緑書房刊 グッピーの美の表紙を飾ったボルケーノモザイクです。

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